11年目のOD生活(起立性調節障害との長い付き合い)

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初めまして、こんにちは!

このブログでは重度の起立性調節障害(OD:Orthostatic Dysregulation)の私が、日々の学びや気づきを通じて、起立性調節障害を抱えながら生活をしている人に向けて、役立つ情報や考え方(生活のヒント)を共有していきたいと思います。

私が起立性調節障害に関するブログを書く理由としては、

自分自身が起立性調節障害に悩まされてきたから。

そして今もなお起立性調節障害を抱えながら生活しているからです。

ということで、まずは自己紹介がてら、私の高校卒業までのOD生活を振り返ってみようと思います。

小学時代

小学2年・4年生の時に朝礼・集会で突然意識を失い倒れてしまいました。

当時はMRIを撮ったり精密検査を受けたものの何が原因か分からず不安な気持ちでしたが、今思い返せば起立性調節障害を発症しやすい体質ではあったのかなと思います。

かなりのサッカー小僧でした。サッカー以外にも水泳、空手、ミニバスを習わせてもらっていたので毎日運動ばかりの活発な少年でした。


また、姉の影響で英語教室にも通っていましたが、座っているのが苦痛で、すぐに辞めてしまいました。今思うと、もう少し続けていれば良かったなと少し後悔しています。

中学時代

相変わらずサッカー小僧で中学3年生の時からはキャプテンとしてサッカーに打ち込んでいました。

が、中学3年生の頃から吐き気や頭痛が原因で遅刻・欠席をすることが月に1〜2回の頻度で出てきました。


授業中に突然の脱力感や動悸、吐き気に襲われ、耐え切れず教室で嘔吐してしまったこともあります。その時、優しい同級生が掃除を手伝ってくれ、本当に感謝していますが、今でもその出来事はトラウマになっています。

高校時代_試練の4年間

毎年jリーガーを輩出し育成に定評のある高校へと進学させてもらいました。サッカーでひと勝負と思っていましたが、中学3年の頃から現れ始めていた体調不良の日が徐々に増えていき、数ヶ月後には登校できない状態になってしまいました。


さまざまな病院を訪ねましたが、どこの病院でも

「特に悪いところは見当たらない」

「思春期によくあることだから」

「環境が変わったから、この時期に多いんですよ」


といった診断が下されました。

しかし、自分自身は身体的な異常をはっきりと感じており、精神的な問題として片付けられることに強い不満を抱えていました。

その一方で、お医者さんや大人の人達(学校の一部の先生)がそのように言うってことは、

「ほんとに精神的な問題なんだろうか?もしそうだとしたら自分のサッカーへの想いは何なんだろうか?自分は相当メンタルが弱いんじゃないか?社会に出て生きていくことができるんだろうか?」

などと自己疑念が膨らんでいき、焦りや不安も相まって心身共に最もしんどい期間だったかもしれません。

そして高校1年の秋、起立性調節障害の検査(新起立試験、脳血流・血圧・心拍数の連続測定)を受け、起立性調節障害と診断されました。起立直後の血圧が25/10まで低下、心拍数も140bpmまで増加し、重度と診断を受けました。

以下はその時の検査データです。一般的に午後からは活動的になると言われている起立性調節障害ですが、夕方の測定でこのような結果のため、当時は午後であろうが動けませんでした。

この診断を受けた時の率直な気持ちとしては「やっぱりそうやんな。」と身体的な異常が確認できた安心感がありました。

その後、入院をし、出席日数が足りず高校1年生の時点で留年が決まりました。

高校は中学と違い出席日数が足りないと進級できません。頭では「仕方ない!」とわかっていても、学校でスリッパや体操服の色が周りと違うこと、地元では友人やその親など周囲の人からの目が気になり、人と会うことも難しかったため孤独感や虚無感を感じる時期もありました。

また同級生からは1年の遅れをとっているという不安や焦りなどを抱えながらの生活でした。

ODは身体的な疾患であったとしても、長引くにつれて精神的な問題も合わさって、身体症状が悪化していくことを実感しました。

母との約束と大学受験

高校3年生の時(高校4年目)の話です。

夕方に私を車で迎えに来てくれた母と車中である約束をしました。

「ODでこの4年間、普通なら得られたはずの色んなものを失ってしまった。せっかく私立に通わせてもらったのに、したかったこと出来ずに終わりそう。でもいつか、あの経験があってよかってん!って本心で言えるようにするな。」

この約束が今でも原動力になっています。

そしてまず考えたのが教師になることです。

起立性調節障害で悩んでいる中高生の多くが、学校や先生の不理解に苦しんでいることを知っていたので、起立性調節障害を経験した者が先生であれば、安心してもらえる・助けになれるのではないか。

そうすれば自分の経験が生きて、「あの経験があってよかってん」と本心で母に言えるのではないかと考えたわけです。

そこで体育の教員免許が取得できる大学への進学を決心し、受験しました。

主治医からは「まだちょっと早いのでは?もう一年体調を様子見てからでもいいのでは?」と言われましたが、この助言に関しては完全に無視して、志望校1校だけを受験しました。

そして無事合格したため進学しました。

(この時、中学時代に仲の良かった友人も浪人を経て同じタイミングで入学することになりました。留年した時は1年の遅れに相当焦っていましたが、大学になると浪人生の多さにビックリします。なんなら2浪3浪の人もいます。当時の自分に「焦んなくてもいいよ〜」って言ってあげたいな)

脳血流が低下していることで思考がまとまらなかったり、集中力が途切れ途切れだったり、頭痛や吐き気が襲ってくるなかでの受験勉強には色んな工夫が必要でしたが、その分、合格通知が届いた時の感動は大きく、親・先生と喜びを分かち合ったのは今でもいい思い出です。

とこんな感じで、そこからは、まだOD症状を抱えたままの大学生活が始まるわけですが、長くなってきたので続きは次回にしたいと思います。

では!

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